手紙を書く婦人と召使
作品説明
中流階級の女性と、この女性のおそらくは恋人宛の手紙を届けるために手紙を書き終えるのを待っている召使いの姿が描かれた作品である。
新機軸を試みた作品で、絵画の中心点が複数存在する構成で描かれている。
画家
Johannes Vermeer
1632-1675
ヨハネス フェルメール (1632ー1675) ネーデルランド共和国の画家。オランダのレンブラント、イタリアのカラーバッジョ、フランドールのルーベンス、スペインのベラスケスなどとともにバロック絵画を代表する画家の1人である。またレンブラントやハルスとも並び立つ17世紀オランダの黄金時代を代表する画家である。 1632年オランダのデルフトに生まれる。父親はパブと宿屋を営んでいた。1641年現在のフェルメールの家として として知られているその家を購入して、フランドールのメルヘンと名づけられているその家に転居した。1653年結婚、大変裕福な義母と共に暮らし始めた。子供と13人の大家族となり、義母 カタリーナの資産に.頼らざるを得なかった。1655年実家のあとを継いだこと、カタリーナの資産が当時純金と同じ値段であったラピスラズリーを原料としたウルトラマリンを買い求めて自由に使うことを可能にした。 デルフト派と呼ばれるようになるピーテルデルホッホとの親密な関係をフェルメールは築いた。他のオランダの都市のものに比べて美術、工芸品はより上品でエレガントであった。デルフトの上品な客層やオランダ総督を務めたオラニエ ナッサウ家の宮廷のあるデン ハーグに近く、宮廷関係の客の好みが作品に反映され、フェルメールも洗礼された画風や静寂な作品を描くことになった。フェルメールは デルフトの醸造業者であるピエール ファン ライフの支持に恵まれ、支え続けられ、仕事をじっくりとすることができた。年間2ないし3点と言う寡作でも問題なかった。生前から画家として高い評価を受けていた。レンブラント時代は高景気に湧いていたが、第3次英蘭戦争が起こったことでオランダの国土はあれ、戦争により彼の義母も裕福でなくなり、彼の作品は1点も売れなくなった。この打撃でオランダの画家数は激減した。フェルメールの11人の子供のうち8人が未成年であり、大量の負債を何とか払おうと必死であったと言うが首が回らなくなり42歳(または3歳)で死亡している。18世紀に入った途端、フェルメールの名は急激に忘れられていったが19世紀のフランスで再び脚光を浴びることになる。それまでのフランスの絵画は理想的に描くものまた非日常的なものとの考えが支配的であった。これに反し、民衆の生活を美化することなく描くギュスタフクールベやフランスワーミレーなどの新しい絵画の風潮が、後の印象派へとつながっていく。このような背景の中で写実主義を基本とした17世紀オランダ絵画が人気を獲得し、フェルメールが再び高い評価と人気を勝ち取ることになった。 43年の短い生涯の画家として活躍したのはわずか20年ほどであった。寡作だったフェルメールが残したのはせいぜい50点位であるとされ、現在見ることのできるのはわずか37点ほどである。
作品情報
- 画家の通称
- フェルメール
- 画家の国籍
- オランダ
- 美術館名
- アイルランド国立美術館 ダブリン アイルランド
- 制作年度
- 1670
- 大きさ
- 72.2X59.7cm